【場面緘黙症】“相手を見ること”を教えてくれたI先生
こんにちは、はるのゆきです。
6月だというのに猛暑が続き、すでに夏バテ気味な私…夏本番はどうなってしまうのか!
子どもと水遊びをしたり、図書館など涼しい場所で過ごしながら、暑さを乗り切る日々です。
皆さんも体調には気をつけてお過ごしくださいね。
さて今回は、場面緘黙症についてのお話です。
場面緘黙症だった小中高の学生時代、様々な担任の先生にお世話になりました。
無理やり喋らせようとする先生
クラスにいない者のように扱う先生…
今思い返しても、あれはないよな〜と悲しくなるような担任の先生もいました。
しかし一方で、とても優しく、根気強く関わってくれた先生も沢山います。
私が今こうして過ごせているのは、そんな先生方の力添えのおかげだと感じています。
中でも特に大好きだった、小学校4年生の担任『I先生』についてお話しできたらと思います。
優しいI先生
小学校4年生で私の担任となったのは、とても優しいご年配の先生でした。
ここではI先生と記載します。
I先生は、私が喋れないことについて基本的に責めたり理由を尋ねることはありませんでした。
1つの個性として受け入れてくださっていると、子どもながらに感じる素敵な先生でした。
当時はまだ発達障害や場面緘黙症、合理的配慮なんて言葉は浸透していません。
子どもの特性は努力不足、親の責任だという雰囲気がプンプン漂っていた時代。
そんな時代に、場面緘黙症だった私の姿を受け入れられるのは、本当に立派だと大人になった今ひしひしと感じます。
子どもの個性を大切にしてくれる、本当に素敵な先生でした。
I先生が譲らなかったこと
そんなI先生が、唯一譲らなかったこと。
それは、朝の点呼時の私の行動です。
私の小学校では、毎朝の点呼時に「はい元気です」「はいお腹が痛いです」と体調を報告するルールがありました。
緘黙症だった私にとって苦痛の時間です…
低学年の頃は、名前を呼ばれたら俯き、ひたすら机を見つめて石のように固まり、先生が諦めてくれるのを待っていました。
その心境としては「言えないからこっち見ないで!
話しかけないで!無視してっ!」という感じです。
ところが、I先生はそれを許してくれなかったのです。
声で返事をしなくていい。でもあなたはクラスの一員だから、ここにいる以上は意思表示をしなさい。
先生に言われたのは
①名前を呼ばれたら相手の顔を見ること
②質問されたら頷くか首振りで答えること
この2つです。
そんな当たり前のことが、それまでの私にはできていなかったのです。
I先生を見れるようになるまで
その日から朝の会で、I先生の突き刺さるような視線が私に向けられ始めました。
どれだけ俯いて沈黙を通していても、顔を上げるまでは許してもらえません。
初めはそれでも顔を上げられず、先生が私の席まできて顔を覗き込みやっと目を合わせられる状況でした。
しかし次第に、先生の方を見れるようになってきたのです。
そして先生に「元気ですか?」と質問されると、小さく頷く。そんなやり取りを毎朝続けました。
たったそれだけ
されどそれだけ
顔を上げて相手を見ることも意思表示になるのだと
その時に初めて学びました。
ただ俯いていた頃にはなかった、自分がこのクラスで生活しているんだという自覚が芽生え始めました。
できる力で必要なことをしなさい
集団生活の中で。人とのコミュニケーションの中で。それがどれだけ大切なことか、I先生の行動に教えられました。
苦手の中に『できる』を作る
場面緘黙症の方と接する際に、話すことの強要はやめて欲しいですが、それ以外の部分で社会性を指導していくことは大切だなぁと経験から感じます。
声を出さなくてもできることは沢山あります。
緘動が強くても動けることはあります。
小さい頃から『これなら私にもできる!』という成功体験を積み重ねることが、その後の生活を支える心の軸になってくれます。
苦手の中にも『できる』は作れる。
それを教えてくれたI先生。根気強く、優しくご指導いただきありがとうございました。
そして毎朝の先生との攻防を見守ってくれたクラスメイト達にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
はるのゆき