【場面緘黙症】高校3年生、一度だけ心療内科に行きました
こんにちは。はるのゆきです。
今回は、場面緘黙症だった過去についてのお話。
タイトルにあるように、私は高校3年生の時、一度だけ心療内科にかかったことがあります。
当時の記憶はおぼろげですが、思い出せる範囲で綴ってみようと思います。
場面緘黙症については、以下の記事にも書いているのでご参照ください。
高校時代の思い出
「高校時代の思い出」って、皆さん何を思い浮かべますか?
学校帰りに友達と竹下通りで買い物?
夜遊びに片足をつっこんだり?
初めての恋人とドキドキのデート?
私の高校生活を一言で表すと、「静かに耐える」です。
心優しい数人の友達はいました。
しかし、彼女たち以外からの視線はとても冷たく、まるでクラスに存在しないように扱われることもしばしばでした。
特にグループ決めなんかでは、最後まで取り残され、私は厄介者なんだなぁと落ち込んでばかり。
学校を休みがちになった時期もありますが、何とか退学せずに3年生まで進級できました。
耐えることができたのは、一つの目標があったから。
それは『大学に進学して、私の過去を知らない人たちの中で生まれ変わる!』というもの。
大学に入るためには高校卒業が絶対条件。
なんとしても高校を卒業して大学へ行く!という目標があったので、3年間耐えることができました。
心療内科に行ったのはなぜ?
そんなこんなで、高校3年生まで進んだ私。
3年生になると、大学受験に向けた模擬試験やら学内のテストやらが目白押しです。
勉強はがんばっていましたが、なかなか志望の大学でいい判定がとれず、もやもやしていました。
大学進学のために頑張ってきたけど、本当に進学できるのかな?
浪人なんてことになったら、私の場面緘黙症はどうなるんだろう?
そして夏頃に、第一志望の大学のオープンキャンパスへ行きました。
オープンキャンパスって、素敵な構内を散策し、キラキラした先輩達の話を聞き、進学への夢と希望が溢れ出す、ワクワクしたイベントなんだろうと思っていました。
しかし、実際に一人で大学へ足を運んでみて感じたこと。
「なんか…私ぼっちじゃね…?」
オープンキャンパスに来ている他の子たちは、同じ高校の仲良し同士や、塾が一緒な雰囲気の子たち、親と一緒に来ている子など、皆ある程度の人数で集まって行動していました。
対して私は一人。
親も仕事で忙しいし、一緒に行くような友達もいないし、たった一人で県外の大学へやってきた暗い雰囲気の女子。
説明会を聞き、模擬授業も受けました。
でも楽しそうに会話している周りの子達の中で、私だけが圧倒的に孤独でした。
いそいそとバスに乗り帰路に着く中で、嫌な予感が。
「大学に入っても、私って今のままなのでは…?」
成績も振るわず悩んでいた時期に、オープンキャンパスで感じた“孤独感”。これが重なり、心がズーンと重くなりました。
大学に受かるか分からない。
受かったところで、夢に見ていたキャンパスライフが送れる保証はない。
もやもや…
もやもや…
もやもや…
ある夏の夜、テレビを見ているときに、急に涙が溢れました。
これまで感じたことのない強い不安感に襲われ、動悸がして、怖くて怖くて堪らなくなりました。
これはおかしい、と感じた私。
母親に伝え、次の日心療内科に連れて行ってもらいました。
医師からの明確な診断はなく、カウンセリングを受けた後に処方された抗不安薬。
カウンセリングでは、家庭環境や受験について聞かれました。
聞かれたことに答えましたが、場面緘黙症であることは告げられないままでした。
医師は、受験前のストレスによる不安症状だろうと判断したようです。
もちろん受験のストレスが一番大きかったのだと思います。
しかしその根底にある、場面緘黙症である自分への不安やストレスを告げられないまま、薬を処方されたことが腑に落ちませんでした。
しばらく内服を続けると、症状は落ち着きました。心療内科には、その初回一度きりしか行っていません。
それ以降、あれほどの不安感に襲われることがなく落ち着いていたので。
いつか自分を分析してもらいたい
そのまま何とか大学受験まで進み、無事に進学することができ、今の私があります。
しかし今でも思うのです。
あの時にしっかり診療を続け、場面緘黙症の話も聞いてもらえていたら、今とは違う生き方があったのかなぁ?と。
今でも不安は強い方ですし、たまに過去の自分が受け入れられず苦しくなることがあります。
あの時ほどの不安感に襲われることはないですが、またいつそうなるか分からない。
その時は、きちんと診療を続け、客観的に自分を分析してもらいたいなと思います。
なんだか最近、色々と上手くいかないことが多いので、もやもやしていた過去について記事を書きました。
当時のことはまたポツポツ記事にすると思うので、興味のある方はご覧ください。
はるのゆき