はるの本棚

口下手な私の人生と推し本について。

【場面緘黙症】人と比べないことが大事

こんにちは、はるのゆきです。

 

今回は、場面緘黙症についてのお話です。

場面緘黙症だった私の過去ついては、以下の記事にも書いているのでご参照ください。

haruharu2021.hatenablog.com

 

haruharu2021.hatenablog.com

 

過去と向き合うのって大変

場面緘黙症ではなくなり、はやウン〜年が経ちました(年齢がバレるのでここは秘密で…)。

最近は社会人としての最低限のコミュニケーション能力は身に付き、社会の中で困ることってあまりなくなりました。

そうなると過去を客観的に振り返れるようになり、「あんなこともあったな〜」と正面から(とまではいかずとも、斜め前くらいから)向き合えるようになりました。

 

この『過去の自分と向き合う』って結構パワーがいる。。

特に緘黙でなくなってすぐの大学生時代は、過去へのコンプレックスが強く、過去から目を背けてばかりでした。

 

 

普通でいようと必死だった大学生時代

大学生になり、人前で一応は声を出せるようになった私。場面緘黙症だった自分へのコンプレックスがとても強く、人前で話せなかった過去を誰にも知られたくない!と必死でした。

『ちょっと大人しいけど普通の高校生活を送っていた子』と思われるよう振る舞っていたのです。

 

今思うと、きっと周りの子には違和感を与えていただろうと思います。

・声量が小さすぎる

・大勢の前で話す時、異常に緊張している

・人との会話のテンポが掴めない

などなど。

 

高校生まで18年間、普通に人との会話経験を積んでいる子であれば、リラックスしてある程度ハキハキと話せるはずです。

しかし場面緘黙症だった私には、隠そうとしても隠しきれないコミュニケーション経験の乏しさがありました。

 

どんなにがんばっても、大きな声が出せません(これは緊張だけではなく、声帯の使い方が未熟なことも大きいと思われます)。

一対一での会話はよくても、複数人になると極度に緊張しカチコチ状態で話すため、余計に声が出ません。

そしてフリートークになると、会話のテンポが掴めず変な時に割って入ってしまったり、逆に全く会話に入れなかったり。

 

きっと周りから『この子なんかコミュニケーションがぎこちないな…』と思われていたことでしょう。

 

しかし当時は友人達に恵まれていたためか、その違和感を指摘されることはなく、みな優しく接してくれていました。

 

普通じゃないことを受け入れる

普通でいよう!違和感なく人と接しよう!と思えば思うほど、コミュニケーション経験の乏しさが浮き彫りになります。

どうして自分は周りの子達のように、スムーズに話せないんだろう…

理想と現実のギャップが大きすぎて、自分で自分の首を絞めている状態でした。

大学4年間はとても楽しかった反面、コミュニケーション能力のなさに直面して病むことも多かった時期です。

 

 

悩んで悩んで、自分なりに出した結論

それは、「18年間のブランクがあるんだから、人と同じにできるわけがない」です。

まぁそうですよね。

当たり前のことですが、これを受け入れるのに時間がかかりました。

 

周りの子達は、幼稚園、小学校、中学、高校と年齢を重ねる中で、いろいろな人と言葉でコミュニケーションを取り、成功や失敗を積み重ねています。

特に思春期は、ややこしい女子関係を切り抜けることで、社会性やコミュニケーション能力を培う大切な時期です。

そんな18年間、人と会話をする機会が圧倒的に少なかった私。

経験がないんです。鍛えられてないんです。人と同じようにできなくて当たり前。

 

そのことを、大学4年間かけて少しずつ受け入れられるようになりました。

 

できない自分を責めるのではなく、今はできなくて当たり前だと思う。皆と足並みを揃えるのではなく、これから成長したいと思う。

そう思えるようになったら、すこーしだけ楽になりました。

 

現に、場面緘黙症ではなくなりウン〜年が経った今では、社会の中に溶け込み楽しく過ごすことができています。

18歳以降、コミュニケーションでたくさん失敗して、落ち込んで、自分と向き合って…その経験を積み重ねることで、成長することができました。

 

人と比べず自分の中での成長を目指すこと。そうすれば人は変わると実感しています。

自分の小さな成長を見落とさないように、これからも自分と向き合っていきたいです。

 

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はるのゆき